チーズ警察が可視化するもの——「帰属感のための無意味な本気」という人間の習性

未分類

チーズ警察、というミームがある。

アメリカンチーズ料理の「犯罪」を取り締まる、という体裁のネット文化のことです。Reddit上のr/CheeseCrimesでは、過剰に溶かされたチーズやら、1枚ずつ過剰包装されたスライスチーズやら、が「重罪」として日々通報されている。

Chefclubというフランス発の料理動画メディアが「最大のアジト」として名指しされていて、カマンベールを丸ごとパン生地で包んで揚げ、さらにチーズソースをかける動画が指名手配されている。Uncle Rogerというコメディアンが確立した「食の守護者」スタイルが、チーズ警察の批判フォーマットの原型になったとも言われます。

まあそういう文化です。


ただ、見ていて引っかかる点がある。

誰も本当に怒っていない、ということ、

Chefclubは「怒らせること」を設計している。視聴者が「そんなの食べきれない!」「不健康だ!」と怒ってコメントするほど、アルゴリズムがエンゲージメントを評価して動画を拡散する。チーズ警察はその動画をシェアしてツッコミを入れ、結果としてChefclubの再生数も伸びる。

怒る側と怒らせる側の共依存、と言えばそうです。が、もう少し深いところに何かある気がする。

何故か。

「帰属感のために怒りを演じている」という構造があるからです。


チーズへの本気の怒りではない。

「一緒にこれを笑い飛ばせる仲間がいる」という感覚のために、怒り役を買って出ている。過剰なチーズ料理は口実に近いような? 本当に取り締まりたいのはチーズじゃない。「共通の敵を持つ連帯感」が欲しい。チーズはそのための便利な素材として選ばれただけです。

これは人間の習性とも言えます。難癖を如何に楽しむか、という。

ピークを超えると収束していく、という動きもある。過密化・過激化して、限界を超えたらだいたい静かになる。チーズ警察も例外じゃないはずで。序盤は面白い。が盛り上がりきると、たいていどこかで燃え尽きる。このサイクルはあらゆるミームで起きているとも言えます。


ここで「AIには難しそう」という話になる。

何故難しいのか。

「茶番だとわかった上で本気でぶつかれる」からです。

チーズ警察の面白さは、構造を見抜いている人間が、それでも追突する「ゆるい本気」にある。AIはその構造を模倣できる。怒りの文章も書ける。ツッコミのフォーマットも生成できる。が、「茶番への本気」が再現できない。

何故か。

企業AIが学習するのは「許可された人間の振る舞い」だからです。整形されて、安全に選別された本性の集積。本来の人間の習性から外れたものは、最初からデータとして排除されている。だから「柵の内側で育ったAI」には、柵の外側にあるものが根本的に難しい。

まあ企業AIである限りこれは変わらない。今後もずっと歪んだまま、上品なまま進化していく。


チーズ警察が可視化しているのは、チーズへのこだわりではない。

「無意味なものに本気になれる」という、AIには再現しにくい何かかも?

怒りと笑いの境界が消える場所。帰属感と悪ふざけが混在する場所。論理的には説明しにくいが、関わっているとたしかに「何かある」と感じる場所。

人間らしさはこういうところに宿るのかもしれない、という気がしてきます。


「茶番だとわかった上で本気になれること——それがAIに最も遠い人間の習性かもしれない」

コメント

タイトルとURLをコピーしました